常楽寺
入間川のそばにある時宗の寺院。河越氏が館の中に創建した持仏堂を起源とする。持仏堂が正式な寺院となったのは1305(嘉元3)年。桓武平氏秩父氏の流れを汲む名門河越氏は、河越重頼の娘の京姫が源 義経の正室となったことで知られている。それだけ源 頼朝から信頼を置かれていたことになる。しかし、義経と頼朝の仲が決裂すると一転して河越重頼は鎌倉幕府の追討を受けた。このため河越氏は衰退を余儀なくされるが、鎌倉幕府中期の河越経重の頃は勢力を盛り返していた。常楽寺が創建されたのもその頃以降で、時宗15代尊恵上人が河越館を訪れ念仏を行ったとの記録がある。
鎌倉幕府滅亡後も河越氏は生き残るが、1368(応安元)年に勃発した反鎌倉府の平一揆に参加し鎌倉府によって館を追われた。そして寺のみが河越氏の過去を知る生き証人として残った。その後も、関東管領山内上杉氏が上戸陣を構えたり、小田原北条氏の川越城代大導寺氏の砦として利用されたりした。