日枝神社

坂東平氏の名門中の名門河越氏は1160(永暦元)年に後白河法皇へ河越庄を寄進し中央との関係を築いた。その際に建立されたのが新日吉山王権現であり、現在の日枝神社。但し、それ以前にも河越には休慶という修行僧が860(貞観年間)年に京都の日吉山王を勧請した元日吉山王権現という神社があった。新日吉山王権現は元日吉山王権現を引き継ぐものと言える。

懸仏が祀られているが、阿弥陀三尊を鋳出した直径25センチの鉄円板は室町時代のものとされている。懸仏は円板に仏像、神像を刻み、神鏡面に本地仏を影現するというもので神仏混交の習俗を色濃く反映している。

1243年には北条時頼が社殿を再興、1260(文応元)年には河越経重が銅鐘を寄進しており、この銅鐘は川越の養寿院に現存している。神職は代々上戸氏が勤めたが、ここはもとは河越館の西の端とも言われ河越氏の遺蹟でもある。


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