永平寺

1244(寛元2)年に道元によって開かれた曹洞宗の大本山。道元は波多野義重の招請に応じて京都から越前の地にやってきた。波多野義重といえば承久の乱で活躍したことが知られる人物。その義重が越前国吉田郡内にある自領志比庄に道元を招いたことが『正法眼蔵』の奥書によって伝えられえいる。当初は吉祥山大仏寺と呼ばれていたが、2年後には現在の永平寺となっている。波多野氏と言えば関東の秦野盆地から足柄平野周辺を父祖伝来の地とする一族。もともとは比企朝宗が所領としていたが、比企氏の乱で子の能員が討たれた後、朝宗の娘を母に持つ北条重時に受け継がれたと考えられている。その重時の娘が波多野義重の妻となったことで波多野氏に受け継がれたのだろう。義重は六波羅探題重時の代官をも務めている。義重は出雲守に任ぜられ波多野雲州太守藤原義重と名乗ったことから波多野出雲を称した。

この永平寺は山門、仏殿、僧堂、庫院、東司、浴室、法堂の七堂伽藍が揃っているということも見所の一つ。

2006.11.19訪問


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