播磨総社
姫路城のすぐそば、城を望むことが出来る位置にあるのが射楯兵主神社。射楯兵主神社というより播磨総社という名のほうで知られる。餝磨郡四座の一つ。射楯大神は餝磨郡因達里に、兵主大神は餝磨郡伊和ノ里水尾山に祀られていたものを、787(延暦6)年に合祀して射楯兵主神社となったと『播磨国風土記』にある。
射楯大神(別名、伊太代神・伊達神)は、素盞嗚尊の子の五十猛命のこと。五十猛命は新羅国に渡ったという伝承を持ち度津神とも言われる。一方の兵主大神は大国主命(大巳貴命)のこと。素盞嗚尊の子孫との伝承を持つ一族伊和君らが餝磨郡伊和の里(伊和部)を開拓したとされていることから、伊和君らが祀った祖神が起源だろうか。
播磨国総社となったのは1181(養和元)年のことで、この時に播磨国16郡の大小明神174座を境内で合祀した。939(天慶2)年の「藤原純友の乱」の際に平定祈願のため、藤原好時が勅使として下向し天神地祇祭を執行したことを起源とする、21年毎に行われる三ツ山祭、61年毎に行われる一ツ山祭が行われる。1581(天正9)年に池田輝政が城下町を形成する際に現在地に遷座した。