伊香郡
旧近江国伊香郡:木之本町は福岡藩主黒田家の発祥の地。近江源氏の佐々木源三秀義の血を引く左衛門尉大夫伴官源宗清が黒田の地を領して黒田を称したと伝えられている。宗清の5代後の高政が備前福岡に移住し、重隆、姫路城の職隆を経て、黒田如水として知られる官兵衛孝高に至る。また、木之本は己高山五箇寺の石道寺の十一面観音菩薩像(重要文化財)でも知られる。
余呉町は、賤ヶ岳の合戦(1583[天正11])の舞台でもある。北近江に出陣した柴田勝家軍の佐久間盛政が、羽柴秀吉軍の中川清秀を大岩山砦に討ったことで戦端が開かれた。誘導作戦として大垣に陣を敷いていた秀吉は木之本にとって返し、勝ち戦に勇躍する佐久間盛政を襲った。この時に活躍したのが、福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、糟野武則の賤ヶ岳の七本槍。
佐久間盛政が敗れると柴田軍は総崩れとなり越前北ノ庄に逃れ自刃した。柴田勝家が退却の折に勝家の身代わりとなって戦死した毛受(めんじゅ)茂左衛門、勝助兄弟の碑もある。
高月町は、天平時代に泰澄によって開かれ本尊の十一面観世音菩薩立像(国宝)で知られる渡岸寺観音堂(向源寺)がある。また、新井白石(1657-1725)、室鳩巣(1658-1734)、榊原篁洲(1659-1706)、祇園南海(1677-1751)と共に『木門の五先生』と称され、対馬藩にあって朝鮮外交に尽力した雨森芳洲(1668-1755)の出身地。多量の須恵器、土師器、掘立柱建物跡12棟、楕円形、隅丸方形、方形等数種類の竪穴式住居跡が122棟も見つかり、弥生時代から平安時代まで集落が営まれたと考えられている大海道遺跡もある。
西浅井町には柴田勝家の家臣達の家族が賤ヶ岳合戦で戦死した家臣達を弔った黒山の石仏がある。