海津(かいづ)郡
旧海西郡、旧安八(あんぱち)郡
旧海西郡には徳永寿昌が3万石で高松藩を立てていたが慶長5年に高須へ移るとともに廃藩。旧安八郡には今尾藩、大垣藩、曾根藩、そして福束藩があった。今尾藩は市橋長勝が封じられていたが慶長15年に矢橋へ移るとともに廃藩。元和8年に尾張藩家老の竹腰正信が3万石で封じられ明治になってから尾張藩から独立した。大垣藩は伊藤盛宗が慶長5年に除封されると上総鳴渡から石川康通が入り元和2年に忠総が豊後日田に移るまで石川家が治めた。石川家の後は関宿から久松松平忠良が入り、寛永元年に忠憲が小諸に出ると、丹波福知山から岡部長盛が入り岡部家が寛永10年に宣勝の代に播磨竜野に移ると、代わって淀から久松松平定綱が寛永12年まで。その次は戸田氏銕が摂津尼崎から入り以後戸田家で続いた。曾根藩は慶長5年に揖斐に移るまで西尾光教が治めた。光教が移るとともに廃藩。丸尾兼利の福束藩は兼利が除封されると廃藩となった。