常楽寺

信州の鎌倉、別所温泉にある三楽寺の一寺で妙観察智弥陀如来を本尊とし金剛山照明院と号する。北向観音の本坊に当たる。写真の本堂は上田市指定の有形文化財で寄棟造茅葺で正面には唐破風が付いている。間口は約18メートル(10間)と長野県内の江戸時代中期の天台真言系では屈指の規模を誇る。1292(正応5)年に常楽寺で書写した経文が金沢文庫で発見されていることからしても、鎌倉時代には既にかなりの規模の寺院だったことが伺える。また、木曾義仲の挙兵による戦乱で多くを焼失したが、源 頼朝によって復興。更に、1252(建長4)年に塩田流北条氏によって復興されている。

但し、塩田流北条氏が鎌倉幕府の滅亡とともに滅び、南北朝の動乱の中で荒廃を余儀なくされ、現在の建物は虹梁部分と柱が一間毎の間隔を保っていないことなどからすると1730年代(享保から元文年間)の建築と考えられている。


This page is powered by Blogger. Isn't yours?