野見宿禰神社
兵庫県の小京都龍野にある神社。龍野城の西にある龍野神社の裏手の紅葉谷から小高い山を登った場所に鎮座している。当日は先客のオバサマ御一行がなんと扉を乗り越えて祠の回りを探索していた。という次第で、我々も祠まで接近。野見宿禰は第11代垂仁天皇の時代に大和国の当麻蹴速と力比べをして勝利を収め領地を拝領した出雲の人であり、この力比べこそは相撲の始まりだと伝承されている。また、垂仁天皇の寵愛する日葉酢媛命が亡くなった時、殉死の習慣の代わりに埴輪を作ることを進言したとも言われている。この野見宿禰が故郷の出雲へと帰る途中で日下部里で亡くなってしまう。そして、葬られたのが野見宿禰神社ということになる。この神社の祠は円墳の上に置かれている。円墳は出雲の人々が揖保川の河原の石を上まで運び拵えた。その時の人々の野に立つ姿から、日下部里の周辺を立野と呼ぶようになったという。神社は明治36年に土屋善之助氏らによって円墳を中心に整備された。付け足すと、ここからの眺めは実に素晴らしい。