大井夫人の墓
武田信玄(1521-1573)の母親の大井夫人の墓。長禅寺にある。大井夫人は椿城城主大井信達の娘。大井信達は子の信業と共に駿河の今川氏親と手を結び、1541(永正12)年に武田信虎に叛旗を翻した。武田軍と大井軍の攻防で小山田大和守、板垣伯耆守が戦死するなど激闘となり、しかも長期戦となった。今川軍も大井軍を支援するために甲斐に侵攻、武田信虎を窮地に追い込まれ恵林寺に逼塞せざるを得ない状況となったこともある。
しかし、信虎は1517(永正14)年に反攻に転じ勝山城の今川軍を完全に孤立。今川氏親は連歌師の宗長を派遣し和平交渉の末に今川軍の甲斐からの無事撤退が決まる。この際に、甲斐国内の大井氏と武田氏との和議の証として信虎の正室に迎えられたのが多い夫人。
大井夫人は信虎との間に長男の晴信、信繁、信廉など3男2女をもうけている。1541(天文10)年の夫の信虎追放事件の際には夫と動向しないで、甲斐に残り躑躅ヶ崎館の北曲輪に住み御北様と呼ばれた。