大泉寺
ここは甲府五山ではない。曹洞宗寺院で山号は萬年山。武田信玄の父親の信虎によって創建された。文化年間(1804-18)の火災と第二次世界大戦の空襲によって堂宇の大半は焼失。総門は甲府城主柳沢義保の菩提寺永慶寺から移築した。
信縄の嫡男として産まれた信虎は、父の死後、1507(永正4)年の家督承継争いで叔父の信恵を破って家督を承継。甲斐の郡内地方で独立していた小山田氏と結んで甲斐を統一した。しかし、その激しい気性と相次ぐ戦争で疲弊した家臣に嫌われ、1541(天文10)年にそりの合わない嫡男の信玄を追放しようとしたところを逆に駿河に追放された。駿河の今川義元を頼ったが、義元が桶狭間の戦いで織田信長に倒されると、志摩の九鬼嘉隆の軍師となり、その後は息子の信玄の正室の実家である京都の三条家の三条実頼の庇護を受けた。1573(元亀4)年に信玄が亡くなると、孫の勝頼を頼るが結局家臣団に阻まれて甲府に戻ることは無かった。
信虎は、結局、高遠城で1574(天正2)年に亡くなり、大泉寺に葬られた。
真ん中が信虎の墓。近くには曾我兄妹の墓もある