東京湾4水系
明治二〇年代の後半から三〇年代の前半は、足尾銅山鉱毒事件が起こって全国民の目が渡良瀬川にそそがれた時期である。そして鉱毒は江戸川下流や下利根川にも、余波として広がりつつあった。明治政府は鉱毒水が江戸川を下り、東京府下に氾濫することを恐れ、(中略) 中利根川を主流として銚子に落とす東遷物語を完結する。
小出博著、『利根川と淀川』、中公新書
東京にはおおよそ4つの水系がある。1つは、武蔵野台地と下総台地の間の東京下町低地を経て東京湾へと注ぎ込む利根川水系。
2つ目は、武蔵野台地と大宮台地の間を流れる荒川水系。但し、荒川水系は大きく見ると利根川水系と同じと看做せる。
3つ目は、武蔵野台地の南を流れる多摩川水系。ここで、面白いのは多摩川が武蔵国と相模国の国境にはなっていなかった点。これは、多摩川の東西で風土が変わらないためと言われている。同じことは、現在の江東区、墨田区、葛飾区、江戸川区など墨東の東京下町低地が現在の隅田川、中川、江戸川の東西で風土が変わらなかったために下流域全体として武蔵国と下総国の国境をなした点でも言える。
さて、最後の水系は武蔵野台地から直接東京湾に注ぎ込む中小水系。