赤紙仁王
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赤紙仁王は東覚寺の住職の賢盛の代の1641(寛永18)年8月21日に、宗海という僧侶が願主となって江戸市中に流行していた疫病平癒を願って造立されたものと伝わる。当時、東覚寺は田端村鎮守の八幡神社の別当寺であり、赤紙仁王も田端八幡神社の社前にあった。しかし、明治時代の神仏分離によって東覚寺の境内へと移されている。
赤紙仁王は東覚寺の住職の賢盛の代の1641(寛永18)年8月21日に、宗海という僧侶が願主となって江戸市中に流行していた疫病平癒を願って造立されたものと伝わる。当時、東覚寺は田端村鎮守の八幡神社の別当寺であり、赤紙仁王も田端八幡神社の社前にあった。しかし、明治時代の神仏分離によって東覚寺の境内へと移されている。