間 新六光風 供養塔
築地本願寺にある間 新六光風の供養塔。間 光風(1681-1703)は赤穂浪士討ち入りに、父の間喜兵衛光延と兄の間十郎光興とともに参加。麻布の毛利邸で切腹し他の浪士とともに高輪の泉岳寺に葬られた。光風は本願寺築地別院の檀家であったと思われ本願寺にも供養塔がある。写真はその供養塔。
光風と築地本願寺とを結びつける伝承として、吉良邸討ち入りの後、泉岳寺に向かう途上で自身の供養を願って槍に書状と幾ばくかの金額を附けて寺域に投げ入れたという話が伝わっている。
初めの供養塔は娘婿の中堂又助が建立したが、天保5(1834)年の火災で焼失し、写真の供養塔は羽佐間宗玄の手による再建
2004年1月