光福寺
出町柳駅の近くにある「ほしな寺」の別名で知られる浄土宗知恩院派の寺院。干菜山斎教院安養殿光福寺というのが正式な名で寛元年間(1245-47)に道空上人が現在の長岡京市にある西山安養谷に興した斎教院に起源を持っている。六斎念仏総本寺の勅号も後柏原天皇(在1500−1526)によって賜っている。1582(天正10)年に六斎念仏を広めた月空宗心によって京都の地に移された。また、1593(文禄2)年に豊臣秀吉が立ち寄った際に、宗心が乾菜を献上したために干菜山の山号を与えられている。山門の前の道は幅員が狭くひっそりとして目立たないが、本堂には1313(正和2)年に花園天皇(在1308−1318)下賜の閉目の阿弥陀如来像もあるなど歴史が凝縮されている。