三善清行邸跡
醒ヶ井通松原下る東側の醒泉小学校内にある。最初、場所が分からなくて小学校の周辺を行ったり来たりしてしまった。三善清行(847-918)と言えば一条戻橋で息を吹き返した人物。死んでもただでは済まなかっただけに生前も一角の人物として知られる。陰陽師として「善家秘記」を著した他、「辛酉革命議」、「革命勘文」といった奏文も著している。陰陽師としての力は相当なものだったらしく、化け物の出ると噂のある家々を買っては移り住んだという伝承を持つ。陰陽師として以外にも、巨勢文雄に師事した経世家として知られ、醍醐天皇の勅により奏上した「意見封事十二箇条」は、当時の政治的社会的な諸矛盾を的確に指摘しその対応策が書かれたものとして名高い。文章博士・大学頭・式部輔の三儒職を兼任して、「円珍和尚伝」、「藤原保則伝」を著し「延喜格・式」編纂にも従事した。
それと忘れてはいけないのは、醍醐天皇に譲位した宇多天皇に重用されていた菅原道真に対して、
「明年は辛酉にして運変革にあたり、2月建卯まさに干戈を動かすべし。貴方は学問の家より出て大臣の位にまで超昇せらる」
と引退を勧めた人物ということ。
鎌倉幕府初代問注所執事の三善康信(1140-1221)は子孫に当たる。