鎌倉市内のJR横須賀線と道路の交差点近くにある晴明石。安部清明大神とある。
鎌倉時代に入ると武家の好みから陰陽道は顧みられなくなったと言われたりする。しかし、1207(承元元)年に陰陽師の安倍維範が京都から鎌倉に呼ばれ、関東陰陽師の礎を築いている。また、鎌倉幕府は陰陽道の月次(つきなみ)泰山府君祭を行っていたことも知られている。