北菅大臣神社

紅梅殿址と仏光寺通りを挟んで南にある菅原道真(845-903)の白梅殿の跡地に建つ神社。かつては、この辺り一帯が道真邸であり菅家廊下と呼ばれたいわば学校もあったという。
道真の死後直ぐに神社は建立され、その当時は北の北菅大臣神社と南の菅大臣神社は同じ敷地で同じ神社であった。しかし、兵火にあったりしたことで、鎌倉時代には南北に分かれて現在のような形になった。つまり、北の紅梅殿社と菅大臣神社と呼ばれることになる白梅殿社は二つセットだった。

室町時代の応仁の乱で再び焼失し、曼殊院宮良経法親王によって再建。天明の大火(1788年)、元治の兵乱(1864年、蛤御門の変)でも焼失の憂き目に会う。

今、目にすることが出来る本殿は1835(天保6)年造立の下鴨神社の三間社流造という旧殿を明治2年に移築し、幣殿を増築して八棟造としたもの。


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