1333(元弘3)年、鎌倉上道を鎌倉目指して攻め上ってきた新田義貞の軍勢は巨福呂坂、大仏坂切通しなどから鎌倉入りをはかり、鎌倉を守る北条氏と激闘を繰り広げた。中でも、極楽寺切通しでの戦いは激しく、新田軍の主将である大館又二郎宗氏主従11名は本間山城左衛門らの手勢によって斬り込まれ討死した。結局は、新田義貞が稲村ガ崎の海岸つたいに鎌倉に侵攻し勝利を収めた戦いだったが、その中で新田側は優秀な人材を失った戦いだったと言える。大館氏主従の弔いのために建てられたのが十一人塚。