道三塚(岐阜市)

美濃の国取りをした斉藤道三のお墓。民家の一角に、あまりにもひっそりとし過ぎている印象。訪ねた時も場所が分からずに、近所の方に聞いてやっと分かった。近所の方に聞いた収穫として、この道三塚の周囲一帯を道三塚ということを知る。もしかすると、この塚自体が昔は大きかったのではないだろうか。

斉藤道三は実の息子の斉藤龍興と長良川を挟んで対峙し、1556(弘治2)年4月18日に激突。道三は敗れて城田寺へと落ち延びる途中で20日に長井忠左衛門、小牧源太、林主人らによって討ち取られたという。崇福寺の西南に葬られたが、長良川の氾濫のたびに流され、現在の塚は1837(天保8)年のものだとか。そうすると、塚の大きさは昔も今と変わらずといったところなのだろう。そういうことからすると、周辺を道三塚と呼んでいるということは、何百年経っても変わらない周囲の人々の道三への思慕の情ということか。

2006.04.28訪問。


This page is powered by Blogger. Isn't yours?