妙心寺


駅から妙心寺はそれほど離れていない。駅前の通りを歩いて少し行くとガソリン・スタンドが見えてくる。そこで道を渡ると参道になっている。
当日は生憎の雨。京都に来て雨に降られるというのは今回が初めて。
それでも、花園の駅から妙心寺までの距離は僅かなものだから雨は苦にならない。そもそも、花園という名前そのものが妙心寺を表していると言ってもいいだろう。妙心寺、正式には臨済宗妙心寺派大本山正法山妙心寺の起源は花園帝(1297-1348)が、衣笠山の南に離宮を営んだことに始まる。帝は禅宗に帰依され、大徳寺開山大燈国師に教えを乞う。そして、帝は、この大燈国師の後に教えを乞う師がいなくなるのを心配したために、大燈国師が自らの法嗣である開山慧玄を推挙し、開山慧玄を以って離宮を寺院に変えたという。但し、この開山慧玄は自らを民衆の中に置く放浪の求道者でもあったために、美濃国伊深から京に招くのに三顧の礼を尽くしたとも言われている。
その開山慧玄亡き後は、南朝の藤原藤房こと第二世授翁宗弼、第三世無因宗因、第四世日峰宗舜、第五世義天玄承と受け継がれ、第六世雪江宗深の代に景川、悟渓、特芳、東陽の四傑から龍泉、東海、靈雲、聖澤の四派を生んだ。
この妙心寺は花園大学などの教育機関を擁していることでも知られている。しかし、驚くべきは、本山の中に子院塔頭が40を越えるということ。

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