秩父23番松風音楽寺
ここは、初めて秩父を巡ったときに、22番を回ってから行こうと計画していたところ。その時は、疲れてしまって22番の近くの古城跡を見て西武秩父の駅に向かってしまった。 というわけで、当然のことながら、音楽寺の周辺は見覚えがある。荒川に架かっている大きな橋もしかり、橋を渡ったところにある「おまんじゅう屋」さんもしかり。残念ながら、この「おまんじゅう屋」に入る機会を逸したので「おまんじゅう屋」さんの名前が記憶に薄い。機会を逸したというのは、他ならない「おまんじゅう」を食するには少し時間が早かったということ。
橋からの道をそのまま進むと音楽寺の標識が見えてくる。
観音堂は音楽寺から一段高くなった場所にある。駐車場からは2本の道が伸びているが、その道を真っ直ぐに登ると観音堂に至る。本堂を経由するなら向かって右へと進む。この辺りは少し迷いやすい。案内板が右に少し入ったところにあるからだ。もっとも、観音堂に先に行っても帰りには本堂を見ることが出来る。観音堂に直行して駐車場へ直帰するというのもある。
ともあれ、当日は案内板に従って本堂を先に見て、それから観音堂へという道を辿った。この観音堂は『秩父回覧記』が記された長享2(1488)年当時は現在の位置よりもさらに高いところにあったという。後に観音堂を管轄権を納めた音楽寺自体は田村郷円福寺の二世南岩天揚の開山。
この地もまた、15番少林寺と同じく秩父困民党にちなむ地であり、境内には「秩父困民党無名戦士の墓」が立つ。
埼玉県秩父市寺尾3773
橋からの道をそのまま進むと音楽寺の標識が見えてくる。
観音堂は音楽寺から一段高くなった場所にある。駐車場からは2本の道が伸びているが、その道を真っ直ぐに登ると観音堂に至る。本堂を経由するなら向かって右へと進む。この辺りは少し迷いやすい。案内板が右に少し入ったところにあるからだ。もっとも、観音堂に先に行っても帰りには本堂を見ることが出来る。観音堂に直行して駐車場へ直帰するというのもある。
ともあれ、当日は案内板に従って本堂を先に見て、それから観音堂へという道を辿った。この観音堂は『秩父回覧記』が記された長享2(1488)年当時は現在の位置よりもさらに高いところにあったという。後に観音堂を管轄権を納めた音楽寺自体は田村郷円福寺の二世南岩天揚の開山。
この地もまた、15番少林寺と同じく秩父困民党にちなむ地であり、境内には「秩父困民党無名戦士の墓」が立つ。
埼玉県秩父市寺尾3773