化野念仏寺
かつて、京都の東西の端、化野と六波羅は葬送の地だったという。
化野の地で、そのことを今実感できるのが念仏寺。正式な名は華西山念仏寺。
嵯峨野から少し離れたところにある、この念仏寺は弘法大師空海が建立した五智山如来寺を前身とすると伝えられている。その面影はなく、後に法然上人が念仏道場としたことに由来する念仏寺という名称にかつてを偲ぶことが出来る。
と、いろいろと書いたが、化野念仏寺といえば、何と言っても、もの凄い数の石仏群。この石仏を見てからは、各地で石仏や五百羅漢像などを目にしたときに念仏寺のようだと感想を口にすることが常となっている。
本堂は正徳2(1712)年寂道和尚による再建だというが、石仏群は意外にも、それ程古くはない。現在のように並べられたのは明治36(1903)年頃だという。
もっとも、新しく作られたものでは決してなくて、化野の地に埋もれていた石仏を集めたものとのこと。まだ、そうした埋もれた石仏が化野の地には沢山あるのだろうか。
それらは、化野が葬送の地であった時のものなのであろうか。想像は尽きない。