新宮熊野神社(会津)
長床で知られる神社。長床は平安末期から鎌倉時代初期に拝殿として建立されたと考えられている。社伝『新宮雑葉記』によると、源 頼義、義家親子が前九年の役に赴く際に戦勝祈願のために熊野神社を勧請したのが始まりという。最初は現在の河沼郡河東に当たる場所に鎮座していたが、後三年の役で出陣した源 義家が現在の新宮の地に遷座するように命じたのだとか。そして、1085(応徳2)年から1089(寛治3)年にかけて遷座したという。
このように源氏にゆかりの神社であるが、その後、鎌倉幕府を開いた源 頼朝が1189(文治5)年に相模の三浦一族の佐原十郎義連に会津四郡を与えたことから、社領が没収されるに至り衰退を余儀なくされてしまう。但し、1192(建久3)年に鎌倉から社領を安堵されている。何と言っても源氏ゆかりの神社であるだけに決して疎かにすることは出来なかったのだろう。佐原氏は佐原六郎左衛門尉時連の代の1212(建暦2)年に新宮神社のある新宮の地に館を構え、新宮氏を名乗り新宮を一族の守護神とするようになる。この新宮氏は三浦半島から会津に移った佐原氏の分家であり、鎌倉幕府が滅びると宗家の葦名氏と内部抗争を繰り返し1433(永享5)年には滅ぼされてしまう。新宮氏の滅亡とともに、新宮熊野神社も再び衰退の波にやがて洗われることになるが、慶長年間に会津藩主蒲生秀行、忠郷によって再興されている。その時に再建された拝殿が現在目にすることの出来る長床。
長床は写真を見て分かる通りの吹き抜け。そして、1尺5寸(45.4cm)の円い柱が44本も10尺(303cm)間隔に5列に並んでいる。こう書くと味も素っ気もないが、実際に目の前にしてみると、思わずため息が出てしまう。この大きな神社が長い間、地元の人々の手で守られてきた、つまり神主が居なかったということも驚きであるし、1124年に建立された平泉中尊寺よりも、1160年建立の白水阿弥陀堂よりも古く東北最古であるということにも再び感嘆せざるを得ない。
2005年7月訪問。福島県喜多方市慶徳町新宮