覚園寺(二階堂、鎌倉)
鎌倉宮の更に奥に覚園寺がある。正式な名称を鷲峯山真言院覚園寺といい、明治初年から古義真言宗となっている。それ以前は真言・律・禅・浄土の四宗兼学だった。
この寺は北条義時が1218(建保6)年に大倉薬師堂を建立したことが起源。吾妻鏡によると、源 実朝に随伴して鶴岡八幡宮に参詣した第2代執権北条義時(1163-1224)の、その日の枕元に薬師十二神将の戌神のお告げがあったというので薬師堂を建立したのだという。
1296(永仁4)年に第9代執権北条貞時(1271-1311)が、元寇の難を逃れることを祈って、京都泉涌寺の法燈を伝える智海心慧上人を開山に迎え覚園寺として再興。
鎌倉幕府滅亡後も鎌倉公方によって手厚く保護された。本尊は薬師三尊像。鎌倉二十四地蔵第三番。
この寺の裏には鎌倉十井の一つ棟立の井がある。井戸の形が家の棟の形とのことで棟立のだとか。新編鎌倉志にも「棟立の井は覚園寺の山上にあり。相伝えるに弘法此の井を穿て、 閼伽水を汲と云う。鎌倉十井の一なり。」
と紹介されている。