武蔵七党の末裔であり、鎌倉公方や関東管領にも下馬の礼をとらなくても良い家であり、何よりも豊臣秀吉軍を率いる石田三成による猛攻に耐え、小田原城落城後まで大軍を翻弄した成田氏の居城。
写真の三階櫓は復元。
本当の見どころは城の周囲に残る水濠と博物館の裏にある本丸の土塁。
忍城本丸土塁。
本丸と三階櫓のある二の丸は橋で連結され周囲は水で満たされていたという。
今は水はなく裸の城。本丸内にも建物はない。
小田原征伐の際、智将である石田三成は大きな頭を駆使しても本丸を臨むことは出来なかった。
水攻めは豊臣秀吉の十八番。それを忠実に再現した石田三成は水城を水攻めにして、かえって、小大名である成田氏の名を全国に知らしめた。
3000人(200騎)の成田軍に対して石田三成の豊臣秀吉軍は2万騎。
しかも、城主の成田氏長は小田原籠城のため不在。 城は城代「のうぼ様」が守り、甲斐姫が城外で三成軍を撃退した。
上杉謙信も、北条氏も落とす事の出来なかった城は豊臣秀吉でも落とすことが出来なかった。
戦後、秀吉が絶賛した所以。