青森県>弘前
弘前城の南方に位置する真言宗寺院。京都の智積院を総本山とする。
1532(天文元)年に、弘前城以前に津軽家の居城であった堀越城の近くの萩野の地(賀田、八幡)に、弘信上人が伽藍を造営したのが始まり。1609(慶長14)年に第2代津軽信枚が高岡と呼ばれた地に弘前城の築城をすると、鬼門を守護する弘前八幡宮の別当寺として移転。
1612(慶長17)年のことという。実は、八幡宮とともに移転してきている。
そして、幕府からの預人の慶光院と寛永寺の天海は1626(寛永3)年に津軽五山を定めている。百澤寺(岩木山神社)、國上寺、橋雲寺、久渡寺、そして、最勝院。最勝院は五山の筆頭に位置づけられている。
しかし、明治維新後の1870(明治3)年に神仏分離ということで、最勝院は弘前八幡宮から分離され、現在の地に移転。移転時には、現在の地に大円寺という寺院が建立されていたが、大円寺は大鰐の蔵館の高伯寺と合併の上移転となった。
これが、最勝院の五重塔が大円寺の大円寺の五重塔と呼ばれる所以。大円寺の歴史も古く、文亀(1501-04)に津軽家発祥の地の地種里に創建され1647(正保4)年に弘前城下に移転した。五重塔は津軽統一の過程における犠牲者を弔う目的で1664(寛文4)年に建立された。