岐阜県>高山
飛騨の小京都・高山の西南にある古城。飛騨では戦国時代に鎌倉時代以来の地頭出身の江馬氏、飛騨国司の姉小路氏、飛騨守護の京極氏の代官であった三木氏の三者が覇権を競った。
松倉城は、そのうちの三木氏の居城であった場所。
永禄年間に第6代の三木自綱が築城したとされる。
三木氏は益田郡竹原郷を出発地とし高山盆地にまで勢力圏を拡大した。第4代の三木直頼は萩原に桜洞城を築城し居城としていたが、第6代の自綱は松倉城を築城するとともに、高山は冬の寒さが厳しいことから、引き続き、その桜洞城を冬城として用いた。
第5代の良頼の代には飛騨国司である姉小路氏を滅ぼし、長らく国司と守護と二重権力状態であった飛騨の統一への道筋を付けた。その暁の自綱による築城ということになる。
城の主郭のすぐ近くまでは車で行くことが出来、小さいながらも駐車場がある。
但し、途中に三差路があり、注意していないと、山を下っていってしまう。
かく言う、私もおかしいおかしいと思いながらもどんどんと山を下ってしまい、途中で地元の工事業者の方に確かめて道を引き返した。
車でなくても、麓の飛騨の里という施設あたりから遊歩道を歩いていくという方法もある。
訪問した日も、朝であったにもかかわらず、1人のご老人、リュックを背負った男性、2人連れのご婦人とすれ違った。
駐車場のある地から城跡入り口の標識に従って整備された山道を登って行くと、少しの距離に不安にもなるが、やがて、大きな石がそこここに転がっている風景に出くわす。
その後、すぐに三の郭の見事な石垣が目に飛び込んでくる。これだけでも見応えがある。
さらに少し登ると、それを上回る主郭の石垣に圧倒される。主郭の面積は520平方メートル、それを囲う外郭の面積は300平方メートル。その少し先には、嫌でも視界に入ってくる旗立岩と呼ばれる巨岩が聳える。その岩の周辺が面積770平方メートルを有する二の郭となる。
松倉城は1585(天正13)年に越中大野から攻め込んだ金森長近・可重父子によって落城した。
この時、飛騨の統一を終えていた三木自綱は広瀬城に籠城し、次男の秀綱に松倉城を守らせたというが、広瀬城の落城の後に、松倉城も家臣の寝返りによって落城の憂き目に合った。