名 | 在職期間 | 鎌倉公方 | 将軍 | 出自その他 |
斯波家長 | 1336~1337 | 足利義詮 | 足利尊氏 | |
上杉憲顕 | 1338 | 足利義詮 | 足利尊氏 | 山内上杉家 |
高 師冬 | 1339~1344 | 足利義詮 | 足利尊氏 | |
上杉憲顕 | 1340~1351 | 足利義詮 | 足利尊氏 | 山内上杉家 |
高 重茂 | 1344~1349 | 足利義詮 | 足利尊氏 | |
高 師冬 | 1350~1351 | 足利基氏 | 足利尊氏 | |
畠山国清 | 1353~1361 | 足利基氏 | 足利尊氏・義詮 | |
高 師有 | 1362~1363 | 足利基氏 | 足利義詮 | |
上杉憲顕 | 1363 | 足利基氏 | 足利義詮 | 山内上杉家 |
上杉 某(憲春) | 1364 | 足利基氏 | 足利義詮 | - |
上杉憲顕 | 1366~1368 | 足利基氏 | 足利義詮 | 山内上杉家 関東政変によって上野・越後両守護職と関東管領職に復帰。 |
上杉能憲 | 1368~1378 | 足利氏満 | 足利義満 | 宅間上杉家 実父は山内上杉憲顕。養父は憲顕の従兄弟である宅間上杉重能は観応の擾乱で高兄弟によって配流先の越前で暗殺された。 |
上杉朝房 | 1368~1370 | 足利氏満 | 足利義満 | 犬懸上杉家 山内上杉憲顕の娘を妻とする。上杉能憲と共に両管領と称される。幕命によって、善光寺別当栗田氏を居城栗田城に攻めるが落とせず責任をとって関東管領を辞任。 -犬懸上杉邸跡 |
上杉憲春 | 1377~1379 | 足利氏満 | 足利義満 | 山内上杉家 上杉憲顕の子で、上杉能憲の弟。 斯波義将、土岐頼康が将軍・足利義満に対して細川頼之の室町幕府管領解任を求めた康暦の政変の勃発時、鎌倉公方足利氏満が将軍・足利義満にとって代わろうとするのを諌め自刃。 |
上杉憲方 | 1379~1392 | 足利氏満 | 足利義満 | 山内上杉家 上杉憲顕の子で、上杉能憲と上杉憲春の弟。兄・能憲の死後、関東管領には憲春が任じられたが、山内上杉家の家督は憲方に譲られていた。関東管領職を承継すると、小山義政の反乱とその子・小山若犬丸の反乱鎮圧などを行った。上野、武蔵、伊豆、安房、下野守護職にも任ぜられる。 |
上杉憲孝 | 1392~1394 | 足利氏満 | 足利義満 | 詫間上杉家 上杉憲方の子。伯父・上杉能憲の養嗣子となって詫間上杉家の家督を継ぐ。 |
上杉朝宗 | 1395~1405 | 足利氏満・満兼 | 足利義持 | 犬懸上杉家 上杉朝房の弟。兄から家督を承継。1399年、応永の乱で大内義弘に共謀して鎌倉公方・足利満兼が挙兵しようとすると、これを諫止した。上総守護職であった関係から上総国長柄郡長柄山の眼蔵寺に墓所がある。 |
上杉憲定 | 1405~1411 | 足利満兼・持氏 | 足利義持 | 山内上杉家 上杉憲方の子。 |
上杉氏憲 | 1411~1415 | 足利持氏 | 足利義持 | 上杉禅秀。犬憲上杉家 持氏が山内上杉家の上杉憲基を重用するようになると、持氏の叔父足利満隆、その養嗣子足利持仲(持氏の弟)らと共謀の上挙兵して持氏の居館を襲撃し、持氏を駿河に追った。しかし、第4代将軍・足利義持の命によって越後守護上杉房方(山内上杉憲方の子)と今川範政により攻められ鎌倉で自刃。 |
上杉憲基 | 1415~1418 | 足利持氏 | 足利義持 | 山内上杉家 |
上杉憲実 | 1419~1437 | 足利持氏 | 足利義持・義量・義教 | 山内上杉家 |
上杉憲忠 | 1447~1454 | 足利成氏 | 足利義政 | 山内上杉家。足利成氏により謀殺。 |
上杉房顕 | 1455~1466 | 足利義政 | 山内上杉家 | |
上杉顕定 | 1466~1510 | 足利義政・義尚・義稙・義澄 | 山内上杉家 | |
上杉顕実 | 1510~1515 | 足利義稙 | 山内上杉家 | |
上杉憲房 | 1515~1525 | 足利義稙・義晴 | 山内上杉家 | |
上杉憲寛 | 1525~1531 | 足利義晴 | 山内上杉家 | |
上杉憲政 | 1531~1561 | 足利義晴・義輝 | 山内上杉家。北条家に追われ越後にて長尾景虎(上杉謙信)に家督を譲渡。 |