岩手県>平泉
奥州藤原氏と言えば毛越寺。平泉と言えば毛越寺。
慈覚大師円仁の開山と伝えられ、奥州藤原基衡、秀衡の時代に最盛期を迎え堂塔40僧坊500を数えたという。
奥州藤原氏は奥州に独自の勢力圏を築いていた。
しかし、関東に成立した鎌倉幕府と対立する。鎌倉幕府の棟梁である源頼朝の清和源氏一族は、奥州藤原氏の祖である藤原経清は前九年の役で安倍一族側として源頼義によって討たれている。
また、藤原経清の子・清衡は清原家で養育され、清原家の内紛を契機とした後三年の役において、源頼義の子・義家の加勢を得て藤原家を復興した。
この時、源義家は奥州を清和源氏の支配下に置こうとしたというが野望は実現しなかった。
その源義家の子孫が源頼朝であり、藤原清衡の子孫が藤原秀衡。藤原秀衡が源頼朝と袂を別った義経を庇護したことで鋭く対立。秀衡の死後、源頼朝率いる関東勢によって平泉は蹂躙され奥州藤原氏は途絶えた。
そして、毛越寺も命運を共にした。その後、幾たびか戦火に晒されたが、復興されて現在に至っている。
2008年9月27日訪問。