弘前藩10万石の藩主津軽家。奥州藤原氏の血を引く津軽秀則と南部守行の娘との間に産まれた津軽掘越城主津軽則信が南部光政によって1445年に敗死。孫の津軽光信だけは難を逃れ大浦城を築き南部家と対峙。跡を継いだ盛信は京都から下向してきた前関白近衛尚通の子で甥の政信を養子とした。津軽政信は南部方の和徳城主小山内満春との戦いで戦死。その跡を子の為則が継いだ。為則は三戸南部家の内紛に参戦した際に戦死した弟の守信の子の為信を養子とする。この為信が大浦為信すなわち津軽為信であり、近世大名家津軽家</a>の祖となる。
家紋は「津軽牡丹」。
10万石、外様 柳間のち大広間、城主
歴代 | 藩主 | 官位・通称 | 出自 |
初代 | 津軽為信 Tamenobu | 従五位下 | 大浦守信の子。叔父大浦為則の女婿。 |
2代 | 津軽信枚 Nobuhiro | 従五位下 越中守 | 津軽為信三男 |
3代 | 津軽信義 Nobuyoshi | 従五位下 土佐守 | 2代信枚長男 |
4代 | 津軽信政 Nobumasa | 従五位下 越中守 | 3代信義長男 |
5代 | 津軽信寿 Nobuhisa | 従五位下 土佐守 | 4代信政二男 |
6代 | 津軽信著 Nobuaki | 従五位下 出羽守 | 5代信寿の子の信興の子 |
7代 | 津軽信寧 Nobuyasu | 従五位下 越中守 | 6代信著長男 |
8代 | 津軽信明 Nobuakira | 従五位下 土佐守 | 7代信寧長男 |
9代 | 津軽寧親 Yasuchika | 従五位下 土佐守 | 黒石6千石領主津軽著高長男 |
10代 | 津軽信順 Nobuyuki | 従四位下 出羽守 侍従 | 9代寧親長男 |
11代 | 津軽順承 Yukitsugu | 従四位下 左近将監 | 三河吉田藩主松平信明の三男 |
12代 | 津軽承昭 Tsuguakira | 従四位下 土佐守 | 肥後熊本藩主細川斉護の四男 |