代数 | 在位期間 | 将軍 |
初代 | 1192(建久3)~1199(正治元) | 源 頼朝 |
2代 | 1202(建仁2)~1203(建仁3) | 源 頼家 1182~1204 比企能員と北条氏排除を企て伊豆修善寺に幽閉の上、殺害される。 |
3代 | 1203(建仁3)~1219(承久元) | 源 実朝 1192~1219 鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺される。 |
源氏将軍家嫡流断絶し、以降2代は公家将軍となる。 | ||
4代 | 1226(嘉禄2)~1244(寛元2) | 九条 頼経 1218~1256 父は源頼朝の姪に当たる一条能保の娘を母に持つ九条道家(摂政・関白)。 頼朝の遠縁に当たることから、実朝死後に鎌倉に迎えられる。 その後、反執権勢力の中心とされ将軍職を子の頼嗣に譲位させらるも鎌倉に留まり影響力を保持するが、1246(寛元4)年に名越光時と執権時頼を廃そうとし京に送還。 |
5代 | 1244(寛元2)~1252(建長4) | 九条 頼嗣 1239~1256 追放された父の後を継ぐものの、52(建長4)年に反執権の陰謀に加担し廃される。 |
以降は皇族将軍となる。 | ||
6代 | 1252(建長4)~1266(文永3) | 宗尊 親王 1242~1274 後嵯峨帝を父に持つ宮将軍。 謀反の疑いを掛けられ京へ追放。 後に、執権時宗が兄六波羅探題南方時輔、名越時章を討った二月騒動の中心となる。 弟は後深草天皇。 |
7代 | 1266(文永3)~1289(正応2) | 惟康 親王 1264~1326 宗尊親王と摂政・近衛兼経の娘・宰子との間の子。父・宗尊親王が京へ追放されるとともに将軍職に就く。1289(正応2)年に幕命によって逆さまの網代車に乗せられて京へ追放。持明院統の伏見天皇と幕府の総意という。嵯峨に隠棲し嵯峨入道将軍と呼ばれた。娘は第8代将軍久明親王に嫁し第9代将軍守邦親王を産んでいる。 |
8代 | 1289(正応2)~1308(延慶元) | 久明 親王 1276~1328 後深草院の皇子。北条貞時が執権を勤め、実権を内管領平頼綱が握る中で鎌倉に下向。 連署の北条時村暗殺の際に北条貞時の従兄弟・北条宗方は将軍の仰せによって暗殺したと述べている。 |
9代 | 1308(延慶元)~1333(元弘3) | 守邦 親王 1301~1333 父の第8代将軍久明親王の京への召還に伴い将軍職に就く。当時、執権は北条師時、連署は大仏宗宣、得宗は北条貞時。しかし、実態は内管領長崎円喜と得宗の舅・秋田城介時顕が掌握していた。 鎌倉幕府滅亡とともに将軍職を辞し、直後に逝去。 |