青森県>浪岡
長慶天皇の皇后・菊代姫の墓。浪岡城址のすぐ近くにある。
長慶天皇(1343-1394)は、後醍醐天皇の後を継いだ後村上天皇の子で、後村上天皇の後に皇位に就いた南朝の天皇。
長慶天皇は弟の後亀山天皇に譲位。後亀山天皇は、室町幕府3代将軍足利義満の働きによって、北朝の後小松天皇に三種の神器を渡し南朝は終焉を迎えた。現在、京都嵯峨の慶寿院跡が宮内庁によって長慶天皇陵墓とされている。
しかし、その一方で、南朝支持派の諸将を頼って転戦したという伝承も根強い。その中でも、津軽下向伝承は津軽に長慶天皇御陵墓参考地とされていた地があることからも棄て難い。
津軽には後醍醐天皇の側近であった北畠顕家の末裔である津軽の浪岡御所北畠家がある点を考えてもしかりである。
そして、その長慶天皇の皇后の墓所と伝えられる場所が、ここ浪岡御所のすぐ近くにあるのだ。菊代姫は菊理姫とも言われ新田宗興の養女という。しかし、白山神社の神も菊理姫。何かの関係を想像せずにはいられない。
それはともあれ、長慶天皇は北畠家に守られていたが、北朝方の南部信政の圧力によって浪岡御所を去ったのだという。菊代姫は長慶天皇(正確には、この時点では上皇)に従ったという伝承もある。果たして、ここに祀られているのは菊代姫なのか、菊代姫の所縁の人物なのか。