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Histoire des Mathématiques †
- B.C.3500年頃:メソポタミアで60を区切りとする60進法を使い始める。
- B.C.3000年頃:古代エジプトで分数が使い始められる。
- B.C.600年頃:ギリシアでタレスがエジプトの幾何学を導入。
- B.C.5世紀頃:インドでゼロが発見される。
- この頃、ピタゴラス(Πυθαγόρας,Pythagoras)は数学の源泉が数そのものであると考えた。
『(ピタゴラスは)この数学の原理をあらゆる存在の原理であると考えた。そして数学の諸原理のうちでは、数が本性上最初のものであり、数のうちに、あの火や土や水などよりもいっそう多く存在するものや生成するものどもと類似した点のあるのが認められる、と思った。(略)要するに、他のすべてはその本性がすっかり数にまねて作られており、それぞれの数は存在の本性のうちで一番最初のものと思われたので、彼らは数の構成要素をすべての存在の構成要素であると考え、また天界全体を調和であり、数であると考えた。』
- ピタゴラスが無理数、ピタゴラスの定理を発見。
- B.C.430年頃:ギリシアのソフィスト達が幾何学の三大問題を議論。
- ギリシアの三大問題
- 与えられた角の三等分
- 与えられた立方体の2倍の立方体の作図(立方倍積問題)
- 与えられた円と等しい面積をもつ正方形の作図(円積問題)
- B.C.250年頃:ギリシアのアルキメデス(Ἀρχιμήδης)が円周率を計算。。級数を用いて放物線の面積を求める取り尽くし法の考案や球と円柱の関係も発見。
- B.C.230年頃:
- ギリシアのエラストテネスが素数を求める方法として「エラストテネスの篩」を考案。
- ゲラサのニコマコスが『算学入門』を著わす。彼はネオ・ピタゴラス主義に属していた。
- 125年頃:ギリシアのプトレマイオス(Κλαύδιος Πτολεμαῖος)が三角法を研究。
- 200年頃:アレクサンドリアのディオファントス(Διόφαντος ὁ Ἀλεξανδρεύς)が『アリスメチカ』において方程式、不定方程式論を展開。ディオファンタスは代数学の父と呼ばれ、。ディオファントス方程式やディオファントス近似は彼の名に由来する。
- 1585年:ステヴィンが『算法』という教科書の中で初めて分数に言及。