スルタン・テケシュ廟はアフガニスタン・ウズベキスタン・カザフスタンとカスピ海に囲まれたトルクメニスタン[Turkmenistan]北東部の都市クフナ・ウルゲンチ[Kunya Urgench,Köneürgenç]にある.クフナ・ウルゲンチはアムダリア川の流れが変わる1370年代まではブハラに次ぐ都市であったという.テュルク系マムルーク国家であるホラズム・シャー朝[Khwārazmshāhiyān;1077-1231]では首都となる.アムダリア川の流れが変わるとクフナ・ウルゲンチは放棄された.スルタン・テケシュ廟[Sultan Tekesh Mausoleum]はホラズム・シャーのテケシュ王[Ala ad-Dunya wa ad-Din Abul Muzaffar Tekish,-1200]に関係する建物ではあるが廟所ではないことが判明している.なお,テケシュ王は,アッバース朝[Abbasid Caliphate]カリフのナースィル[Al-Nasir il-Din Allah,1158/8/6-1225/10/4]の誘いを受け,テュルク系の大セルジューク朝[Great Seljuq Empire;1037-1194]のスルタンであるトゥグリル3世[Toghrul;-1194/3/19]を敗り大セルジューク朝を滅亡させホラズム・シャー朝の版図を拡大.ホラズム・シャーと併せて初めてスルタン[sultān]を称した.