アンティオコス1世の墳墓

アンティオコス1世の墳墓はトルコの南東アナトリア地方ネムルット山山頂にある墳墓遺跡.墳墓遺跡と呼ばれ墳墓であるとは考えられているものの,発掘では未だ墳墓は発見されていない.

アンティオコス1世[Antiochus I of Commagene,c.86BC–31BC]はアナトリア半島南東部に位置する古代アルメニアのギリシア・イラン系[Greco-Iranian kingdom]のコンマゲネ王国[Kingdom of Commagene]の王.

コンマゲネ王国は紀元前162年にセレウコス朝サトラップ[Satrapy]であるプトレマイオス[Ptolemaeus of Commagene]が独立したことで始まる.

この王国の王はアケメネス朝の系譜に連なるオロンテス[エルバンド]朝[Iranian Orontid dynasty,401BC‐200BC]の血脈を引くと称した.

アンティオコス3世[Antiochus III Epiphanes]の死を契機としたローマ帝国第2代皇帝ティベリウス[Tiberius Julius Caesar,42BC.11/16-AD37/3/16]によって属州化されるも,第3代皇帝カリグラ[Gaius Julius Caesar Augustus Germanicus,12/8/31-41/1/24]によるアンティオコス4世[Gaius Julius Antiochus IV Epiphanes]擁立によって王国は復活.

ところが,パルティア人と共謀してローマ軍に対抗しようとして,フラウィウス朝[Flavian dynasty]ローマ皇帝ウェスパシアヌス[Titus Flavius Vespasianus,9/11/17-79/6/23]によって再び属州化され王国は終焉した.最後のコンマゲネ王国の王であったアンティオコス4世はローマに迎え入れられ息子のエピファネス[Epiphanes],カリニクス[Callinicus]とともに厚遇された余生を過ごした.

【コンマゲネ王国】


世界遺産





















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