ジョージア

トランスコーカシア [Transcaucasia]の共和国.旧ソビエト社会主義共和国連邦[Union of Soviet Socialist Republics;1922-1991]の構成国.1991年に独立.

8割以上を占めるカルトヴェリ人[Kartvelian],アゼルバイジャン人,アルメニア人からなる国家.

首都はトビリシ[Tbilisi].公用語はコーカサス諸語に属するジョージア語.

B.C.6世紀に西ジョージアにコルキス王国[Colchis],B.C.4世紀からB.C.3世紀に東ジョージアにカルトリ王国[B.C.302-580]が成立.このコルキス・カルトリ両王国がジョージアの起源.B.C.2世紀にコルキス王国はポントゥス王国[Pontus]によって滅亡.B.C.65年にポントゥス王国はローマ帝国の属領となり,同時期にカルトリ王国もローマ帝国の支配下となる.

ローマ帝国の支配力が弱まると旧コルキス王国領からラジカ王国[Lazica]が独立.このラジカ王国はササン朝ペルシアと戦いを繰り返し,562年に東ローマ帝国に併合.

一方のカルトリ王国はササン朝ペルシアのホスロー1世[Khusrau I,-579]により廃された.しかし,旧カルトリ王国では独立闘争が燻り,東ローマ帝国皇帝・ヘラクレイオス1世[Heraclius,575頃-641]はハザール・カガン国[Xazarlar;7c-10c]との連合軍をトビリシに派遣.ササン朝ペルシアと激突した.東ローマ・ササン戦争[602-628]はニネヴェの戦いで東ローマ帝国皇帝・ヘラクレイオス1世がササン朝ペルシア軍を破ることで終結.トランスコーカシアはハザール・カガン国の宗主国である西突厥の支配下となる.629年に西突厥がトランスコーカシアから撤退するも西突厥の歩利設[ボリ・シャド;Böri Šad]が率いるテュルク人が駐留しササン朝ペルシアの侵攻を食い止めた.しかし,ササン朝ペルシアの圧迫によりテュルク人駐留部隊もトランスコーカシアから撤退.

空白地帯となったトビリシは736年から738年にムスリムの征服[Spread of Islam]によりトビリシ首長国[Emirate of Tbilisi;736-1122]が成立.

856年にはアッバース朝[750-1517]のアルメニア人諸侯軍総司令官となったアショット[Ashot;-890]はアッバース朝カリフからアルメニア・グルジアおよび全カフカス大侯の称号を得てバグラト朝[Bagrat]を興した.イベリア大公グルゲン[Gurgen of Iberia]とアブハジア王女グランドゥフト[Gurandukht of Abkhazia]との子・バグラト3世[Bagrat III of Georgia;1008-1014]はバグラト朝アショットの養子となりバグラティオニ朝グルジア連合王国[1008-1490]を建国.バグラティオニ朝グルジア連合王国バグラト3世はジョージアの過半を統治下に置きジョージアの基礎を作った.キリスト教国のバグラティオニ朝グルジア連合王国は東ローマ帝国滅亡後[1453]もテュルク系・イラン系に取り囲まれる中で,1466年まで存続.

バグラティオニ朝グルジア連合王国滅亡後はバグラティオニ朝王家一門のイメレティ王国[Imereti],カヘティ王国[Kakheti],カルトリ王国[Kartli]の三王国が並立[3王国5公国時代].1762年にカルトリ王国とカヘティ王国がカルトリ・カヘティ王国[Kartli-Kakheti]が成立し18世紀に二王国がロシア帝国皇帝・パーヴェル1世[Pavel I;1754-1801]に併合.

ロシア革命直後の1918年にはグルジア民主共和国[Democratic Republic of Georgia;1918-1921]が独立.しかし,ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国[1917-1991]赤軍の軍事侵攻により崩壊.ジョージアはザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国を経てソビエト社会主義共和国連邦の中でグルジア・ソビエト社会主義共和国となった.

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.

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