チリ共和国

東にはアンデス山脈が聳え,西は太平洋に面した細長い国土が特徴.海岸線に沿って,ナスカプレートの東端が南アメリカプレートに沈み込むことで形成されたペルー・チリ海溝[Peru-Chile Trench]とプジェウエ=コルドン・カウジェ火山群[Puyehue=Cordón Caulle]が連なる.
アンデス山脈と太平洋の間にあるアタカマ砂漠[Desierto de Atacama]は砂漠気候,南へとステップ気候,地中海性気候,西岸海洋性気候と続き,パタゴニア地方はツンドラ気候.
小史
植民地時代[16世紀/1818年]
ペドロ・デ・バルディビアの征服
- 1540年: スペインの探検家ペドロ・デ・バルディビア[Pedro de Valdivia]がペルーから現在のチリに進軍.
- 1541年: サンティアゴ建設.バルディビアは都市の基盤を築き,農業や防衛のための要塞を整備.
- 1546年: ビオビオ川[Río Biobío]以南のマプチェ族[Mapuche]との接触が始まり,抵抗が強まる.
- 1550年: マプチェ族[Mapuche]とのアラウコ戦争[Arauco War]が本格化.
- 1553年: トカピル[Tucapel]でマプチェ族の指導者ラウタロ[Lautaro]に敗北.ペドロ・デ・バルディビア[Pedro de Valdivia]は捕らえられ処刑.バルディビアの妻イネス・スアレス[Inés Suárez]と,ペドロ・デ・バルディビアの部下であったフランシスコ・デ・ビジャグラ[Francisco de Villagra]が一時的に統治を引き継ぐ.しかし,この時期は1556年にアンドレス・ウルタド・デ・メンドサ[Andrés Hurtado de Mendoza]が副王として着任するまで,ペルー副王が不在の期間であり承認が得られず混乱.
植民地の確立とマプチェとの戦争[1553/17世紀]
- 1557年: スペイン王フェリペ2世が,ガルシア・ウルタド・デ・メンドサ[García Hurtado de Mendoza]を新たなチリ総督として任命.
- 1560年代: チリ北部での植民活動が進展.穀物栽培や牧畜が始まる.
- 1598年: クラビホの反乱[Curalaba Uprising]勃発.ペラントゥ[Pelantaru]に率いられたマプチェ族[Mapuche]が,チリ総督マルティン・ガルシア・オニェス・デ・ロヨラ[Martín García Óñez de Loyola]率いるスペイン軍を奇襲攻撃し大勝利.これにより,スペインによるビオビオ川[Río Biobío]以南の支配が後退し,この地域がスペイン支配外となる.
- 1609年: 南部のアラウカニア[Araucanía]地方の支配を断念.ビオビオ川[Río Biobío]が国境と見なされる.
- 1620年代: マプチェ族[Mapuche]との戦闘が断続的に続く.
経済と社会の発展[17世紀/18世紀初頭]
- 1641年: キリコラ[Quilín]のパルラメント[Parlamento]締結.チリ総督代理フアン・デ・ラ・バスケス[Juan de la Vásquez]がマプチェ族のロングコ[Longko,首長]であるリフア[Lihue]とアウクン[Aucan]との間で和平交渉を行う.これにより,スペイン側がビオビオ川以南をマプチェ族の領域として承認.
- 1660年代: 農業と牧畜が経済の中心となり,特に小麦の生産が増加.1687年のペルー[Peru]のリマ[Lima]近郊での大地震によって,ペルーの農業生産が打撃を受けたため,チリからの小麦輸出が一層拡大.この時期,アシエンダ[Hacienda]と呼ばれる大規模農場制度が確立.
- 1671年: マリコのパルラメント[Parliament of Mariquina]締結.チリ総督フアン・エンリケス[Juan Henríquez]が国境付近での紛争が絶えなかったマプチェ族[Mapuche]との間でビオビオ川以南の地域をマプチェ族の領域として再確認.
- 1700年: スペイン王朝交代.カルロス2世が死去した後,ブルボン家のフェリペ5世が即位.
- 1713年: ナウペルのパルラメント[Parliament of Naupel]締結.チリ総督ホセ・デ・サンティバニェス[José de Santiago y Salvatierra]がマプチェ族のロングコ[Longko,首長]であるカルリウィ[Calcurrupe]との間で和平交渉.この結果,スペイン側はビオビオ川以南をマプチェ族の領域と再確認.
- 1723年: チリ総督フアン・デ・バスケス[Juan de Bazán]がスペイン政府の命令を受け,再びマプチェ族に対する軍事行動を強化.
18世紀の改革と啓蒙思想の影響[18世紀]
- 1760年代: スペイン本国でブルボン朝改革実施.チリにおいても新たな税制や行政改革が行われる.
- 1778年: 自由貿易令が布告.チリの経済活動が活発化.港湾都市バルパライソが重要な拠点となる.
- 1780年代: アメリカ独立戦争[1775/1783]やフランス革命[1789]の影響がチリにも波及.独立の機運が高まる.
植民地時代の終焉と独立運動[19世紀初頭]
- 1808年: ナポレオン戦争でスペイン本国がフランス軍に占領.スペイン王フェルナンド7世がナポレオンに囚われる.これにより植民地支配が弱体化し,南米全域で独立運動が高まる.
- 1810年: 5月18日,サンティアゴで集まったクリオーリョの指導者であるフェリペ・サラバリア[Felipe de la Fuente]やフアン・モレノ[Juan Moreno]たちがサンティアゴ市会議を開催.この会議でチリ最初のクリオーリョ主導の最高政府会議[Junta de Gobierno]が設立される[サンティアゴの政変].チリ総督フェリペ・ガルベス[Felipe García de la Cortina]は鎮圧を試みるも失敗.
- 1811年: 立法機関として臨時議会[Congreso Nacional]が設立される.王党派と独立派が対立する最高政府会議は外交と軍事に機能が制限される.
- 1814年: ナポレオンの敗北を契機として,バルデス将軍[José de la Cruz Salazar y Valdés]に率いられたスペイン本国から派遣された王党派軍が一時的にチリを再占領.サンティアゴ市会議は独立派を追放.最高政府会議は解体される.
- 1817年: ホセ・デ・サン・マルティン将軍[José de San Martín]とベルナルド・オイギン[Bernardo O'Higgins]が独立派を率いて,アルゼンチンからアンデス越えチリへと進軍.チャカブコの戦い[Batalla de Chacabuco]で王党派を破りバルデス将軍を捕虜とする.サンティアゴ市会議で王党派を率いたフェリペ・サラバリア[Felipe de la Fuente]やフアン・モレノ[Juan Moreno]はペルーへと亡命,その後,ヨーロッパへと戻った.バルデス将軍もペルーでスペイン軍を指揮した後,スペインに帰国.なお,ホセ・デ・サン・マルティン[José de San Martín]はペルーへと進軍しペルー独立[1821]に貢献.
- 1817年: オイギンがチリ初代総督となる.これに伴い,王党派を支えたサンティアゴ市会議は解散.また,臨時議会が総督の補佐機関としての役割を担うようになる.
- 1818年: ベルナルド・オイギンが独立宣言.チリが正式にスペインからの独立を果たす.
- 1823年:オイギンスの退陣.オイギンスの独裁的な統治に対する不満が高まり,退陣を余儀なくされる.オイギンスの退陣後,1818年のマイポの戦い[Battle of Maipú]での勝利に貢献したラモン・フレイレ[Ramón Freire]がサンティアゴ市会議[Cabildo de Santiago]を中心とする地方自治体と軍により最高指導者[Director Supremo]に選出される.
- 1826年:チロエ島[Chiloé]を併合.ラモン・フレイレが,チリにおけるスペイン軍最後の拠点であるチロエ島のスペイン軍を降伏させる.一方で,自由派[liberales]と保守派[conservadores]の対立が激化.
政治的混乱と保守派の台頭[1827/1830]
- 1827年:フレイレは自由派・保守派の双方から支持を失い辞任.辞任後は,フランシスコ・アントニオ・ピント[Francisco Antonio Pinto]が率いる自由派が政治を主導.
- 1829年: 中央集権的な統治体制を志向する保守派と自由派の間でチリ内戦勃発[1829/1830].
- 1830年: 保守派が内戦に勝利.保守派の支持を受けてフアン・ホセ・プリエト[José Joaquín Prieto]が大統領となる.実権はディエゴ・ポルタレス[Diego Portales]が掌握.
ペルー=ボリビア連合との戦争[1836/1839]
- 1833年: ポルタレスの影響下で,強力な中央集権と大統領権限を拡大する1833年憲法制定.
- 1835年:ボリビア大統領アンドレス・デ・サンタ・クルス[Andrés de Santa Cruz]が政治的混乱が中にあったペルーとボリビアの連合を形成.ペルー=ボリビア連合[Confederación Perú-Boliviana]が誕生.
- 1836年:ペルー=ボリビア連合を自国の脅威とするチリのホセ・ホアキン・プリエト大統領[José Joaquín Prieto]がペルー国内の反サンタ・クルス勢力を支援し宣戦布告.ペルー=ボリビア連合戦争[Guerra contra la Confederación]勃発.
- 1837年:チリの指導者ディエゴ・ポルタレスが軍人により暗殺される.チリ軍はサンタ・クルス率いる連合軍にタルカワノの戦い[Batalle of Tarqui]で敗北.
- 1838年:アルゼンチンの指導者フアン・マヌエル・デ・ロサスがチリと同盟締結.アルゼンチンがペルー=ボリビア連合戦争[Guerra contra la Confederación]に参戦.チリの軍司令官マヌエル・ブルネス[Manuel Bulnes]がペルー=ボリビア連合軍への反撃を開始.
- 1839年:ヤンガイの戦い[Battle of Yungay]:ペルー北部のヤンガイにおいて,チリ・アルゼンチン連合軍がペルー=ボリビア連合軍に大勝.この結果,ボリビア大統領アンドレス・デ・サンタ・クルスは亡命.ペルー=ボリビア連合は解体.
1840年代
- 1841年:ホセ・ホアキン・プリエト大統領再選.保守派主導による中央集権的な政治体制が磐石なものとなる.
- 1843年:パタゴニア[Patagonia]へ進出.
- 1844年:サンティアゴ・バルパライソ間で鉄道開通.
1850年代
- 1851年:アロンソ・エスピノーサ[Alonso de Espinosa]事件.保守派の中でも中央集権強化を求めるアロンソ・エスピノーサ大佐[Alonso de Espinosa]が自由派の勢力が強かったコキンボ地方[Región de Coquimbo]の中心都市であるラ・セレナ[La Serena]で反乱を起こす.反乱は政府軍により鎮圧されアロンソ・エスピノーサ大佐は逮捕.この反乱は,結果として自由派の勢力を削ぐことになる.
- 1857年:サンティアゴ憲法の改正.議会権限が強化される.
硝石戦争[Guerra del salitre,Guerra del Pacífico]
- 1878年:ボリビアのボリビアのイラリオン・ダサ大統領がチリ・ペルー・ボリビアの国境付近のアタカマ地方における硝酸塩の採掘権に新しい税金を課すことを決定.チリ企業がこの措置に猛反発.
- 1879年:ボリビアがチリ企業の資産を押収.これに対抗して,チリのアニバル・ピント大統領[Aníbal Pinto Garmendia;1825-03-15/1884-06-09;在1876-09-18/1881-09-18]がボリビアに対して宣戦布告.硝石戦争[Guerra del salitre,Guerra del Pacífico,1879/1884]が勃発.チリ軍は硝石企業の保護のためボリビア領のアントファガスタ[Antofagasta]を軍事占領.ペルーがボリビアとの相互防衛条約に基づいて参戦.しかし,チリ軍の優勢は揺るがず.チリ軍がペルー領イキケ[Iquique]を海上封鎖.アンガモス海戦でチリが勝利し制海権確立.
- 1880年:チリ軍がペルー領のアリカとタクナを占領.続いて,首都リマへ進攻.
- 1881年:リマ近郊で行われたミラフローレスの戦い[Batalla de Miraflores]でチリ軍が勝利し,ペルーの首都リマを占領.新しく選出されたペルーのミゲル・デ・イグレシアス[Miguel de Iglesias]大統領が降伏.
- 1883年10月:チリとペルーが講和条約であるアンコン条約[Treaty of Ancón]締結.ペルーは南部のトラパチャ地方をチリに譲渡.
- 1884年:チリとボリビアがバルパライソで休戦条約を締結[バルパライソ条約〔Treaty of Valparaíso〕].ボリビア領アントファガスタ港がチリ領となる.これによりボリビアは内陸国となる.
- 1904年:ボリビア・チリ平和友好条約[Treaty of Peace and Friendship between Chile and Bolivia]締結.
戦後の政治と経済の復興
- 1884年:チリ国営鉄道公社[Empresa de los Ferrocarriles del Estado/EFE]の設立.
- 1885年:イギリス資本による硝石事業の本格化.
- 1886年:ドミンゴ・サンタ・マリア大統領の強い支持によりバルマセダ[José Manuel Balmaceda;1840-07-19/1891-09-19;在1886-09-18/1891-08-29]大統領就任.バルマセダは保守派からも自由派からも支持が得られない中での大統領就任であり厳しい政権運営となる.
- 1890年:議会との対立が続く中,バルマセダ大統領が自らの後継者としてクラウディオ・ビクーニャ[Claudio Vicuña Guerrer]を指名.議会との対立が決定的となり予算案が否決される.
- 1891年:バルマセダ大統領が1890年の予算を1891年の公式予算とみなすとの宣言を行う.これに対して,上下院は大統領を罷免.海軍の一部が議会を支持.ここに,バルマセダ戦争[Chilean Civil War]が勃発.内戦は議会軍が勝利.
議会共和制から百日社会主義共和国まで
- 1920年:議会共和制期は鉱山寡頭支配層が政権を握る.しかし,第一次世界大戦後に硝石価格が下落すると保守派に対抗する国民連合のアルトゥーロ・アレサンドリ[Arturo Alessandri]が大統領に選出される.
- 1925年:アレサンドリ大統領が1925年憲法を制定し大統領権力を強化.
- 1927年:イバーニェス[Carlos Ibáñez del Campo]政権が発足し公共事業と鉱業を拡大.しかし,1929年の世界恐慌で政府財政が破綻.
- 1931年にイバーニェス政権は崩壊
- 1932年:社会主義共和国が成立.マルマデューク・グローヴ[Marmaduke Grove]が主導したクーデターにより,アルトゥーロ・プーガ[Arturo Puga]が暫定大統領,グローヴが国防大臣に就任.しかし,カルロス・ダビラ[Carlos Dávila]が権力を掌握すると,グローヴは追放.社会主義共和国は短命に終わる.
人民戦線と人民連合
- 1938年:ペドロ・アギーレ・セルダ[Pedro Aguirre Cerda]が大統領に就任し人民戦線政権が成立.
- 1946年:ガブリエル・ゴンサレス・ビデラ[Gabriel González Videla]政権が成立し共産党が非合法化.
- 1952年:イバニェスが再び大統領に選出.秘密選挙が保障される.
- 1964年:エドゥアルド・フレイ・モンタルバ[Eduardo Frei Montalva]が大統領に選出.「穏健な銅山のチリ化」や農地改革が行われる.
- 1970年:サルバドール・アジェンデ[Salvador Allende]が大統領に選出.人民連合政権が誕生.
アジェンデ政権とクーデター
- サルバドール・アジェンデ[Salvador Allende]が大統領に選出.世界初の民主的に選出された社会主義政権が誕生.しかし,米国による政治的干渉を受ける.
- 1973年9月11日:アウグスト・ピノチェト[Augusto Pinochet]将軍率いる軍部によるクーデター勃発.大統領宮殿を襲撃されたアジェンデ大統領は降伏を拒否し自殺.軍事政権成立.
ピノチェト時代
- 1974年:アウグスト・ピノチェト[Augusto Pinochet]将軍が大統領となる.以降,軍事独裁体制の下で秘密警察DINAによる国民弾圧が行われる.一方で,失業率22%,GNPが3/4になる中でミルトン・フリードマンらのシカゴ学派が重用される.
- 1975年:自由市場経済の導入を目的として,関税の大幅引き下げ・労働市場自由化・民営化といった急進的な改革が進む.
- 1976年:IMFからの支援を受けて経済改革を進める.
- 1977年:チリ・ペソを米ドルに固定する固定為替相場制の導入.これにより,輸入が増加し貿易赤字が拡大.
- 1978年:市場改革と輸入自由化により経済成長率が5%以上となる.
- 1979年:労働組合の権限を制限.労働者の解雇が容易となる.
- 1980年:国民投票により1980年憲法が承認される.この憲法により8年間の軍事政権の延長が正当化され,引き続き,ピノチェトが大統領となる.しかし,1988年にピノチェト大統領の続投を問う国民投票実施が盛り込まれる.
- 1982年:経済が加熱しバブルに.貿易赤字も拡大.
- 1982年:国際的な金利上昇と銅価格など商品価格の下落により,チリ経済が深刻な打撃を被る.チリ銀行[Banco de Chile]とサンティアゴ銀行[Banco de Santiago]の2大銀行が経営危機に陥り国有化.
- 1983年:この年から全国規模のデモやストライキが頻発.
- 1985年:ピノチェト政権はシカゴ学派の経済政策を修正しケインズ政策を導入.財政赤字の削減,輸出振興政策,為替相場の安定を目指す.高い経済成長が続くチリの奇跡の始まり.
- 1986年:インフレ率が低下.銅価格の回復により輸出収入も増加.道路や港湾など輸出関連のインフラ整備も進められる.
- 1988年:国民投票によりピノチェト大統領の続投が否決.
民政移管
- 1989年12月14日:新大統領と二院制議会の議員選出の選挙実施.17の政党からなる連合体コンセルタシオン[Concertación]が擁立したキリスト教民主党のパトリシオ・エイルウィンが絶対多数で大統領に選出される.なお,ピノチェトは政権移譲後もチリ陸軍総司令官の地位を保持.
- 1990年:エイルウィンが大統領に就任.チリは民主主義への移行期に入る.
- 1991年2月:エイルウィン大統領が,軍事政権下で起きた人権侵害の真相究明を目的とする真実と和解のための国家委員会を設立.同委員会はレットィグ報告書で軍事政権時代の人権侵害の調査結果を発表.
posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.
