ポーランド王国ピアスト朝はカジミェシュ3世[Kazimierz III Wielki;1310-1370]の代で断絶.王位はハンガリー王ルードヴィクが承継し,その娘のヤドヴィガ・アンデガヴェンスカ[Jadwiga Andegaweńska,1373/1374- 1399]へと相続された.そして,ポーランドの貴族層シュラフタ達はヤドヴィガ・アンデガヴェンスカの結婚相手としてリトアニア大公ヤゲウォ[Władysław II Jagiełło;1362-1434]を迎えポーランドの共同統治者とする[1386].ここに,ポーランド王国とリトアニア大公国は同君連合を形成しヤゲヴォ朝[Jagiellonów]が成立する.
リトアニア=ポーランド王国の成立はドイツ騎士団の東方植民に脅威となる.そして,1410年に両軍はタンネンベルクの戦いで激突しドイツ騎士団に勝利.続いて,十三年戦争[Dreizehnjähriger Krieg;1454-1466]においてドイツ騎士団からダンツィヒを奪還.
その後もドイツ騎士団はリトアニア=ポーランド王国に押され,ついにドイツ騎士団総長・ホーエンツォレルン家アルプレヒト[Albrecht von Brandenburg-Ansbach;1490-1568]は,リトアニア=ポーランド王ジグムント1世スタルィ[Zygmunt I Stary,1467-1548]の甥である関係からプロイセン公国[Herzogtum Preußen]は1525年にジグムント1世スタルィに臣従.
1569年,リトアニア=ポーランド王国はルブリン合同[Unia lubelska]により統合.リトアニアは,実質上,ポーランドに吸収された.
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