ウル第3王朝[Third Dynasty of Ur]
アッカド帝国*が,イラン高原南西部ザグロス山脈のグティウム[Gutium]のグティ人[Guti,Quti],東方からのエラム人,北西からセム語族のマルトゥ人からの侵攻を受けて滅亡.シュメルはグティ人王朝の支配下となるが,これを破ったのがウルク第5王朝ウルク王ウトゥ・ヘガル[Utu-heg̃al;2119BCE/2112BCE].
紀元前2050年,ウルク王ウトゥ・ヘガルはグティ王ティリガン[Tirigan]をドゥブルムで破り捕虜としたことでシュメルの独立を回復.この敗北により,グティ人勢力はグティウムへの後退を余儀なくされたという.
ウトゥ・ヘガルの死後,ウル[Ur]の軍事司令官であったウル・ナンム[Ur Nammu;在位:c.2112BCE/c.2095BCE]が後継者としてウル第3王朝を打ち立てた.
5代約100年に及ぶ世襲王朝を誇ったが,西方からシリア地方ビシュリ山の遊牧民を起源とするアムル人[Amorite],東方からエラム人による脅威と王朝の内部対立で衰退.
紀元前2004年頃,エラムによる攻撃を受けて滅亡.
ウル第3王朝の滅亡後は,イシン・ラルサ時代と言われるアムル人諸王国が分立する状況が約200年続く.これを統一するのが,アムル人国家バビロンの第6代王であるハンムラビ[Hammurabi]である.
posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.