ザーリアー朝[Salian dynasty]の神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の娘であるアグネス・フォン・ヴァイプリンゲン[Agnes von Waiblingen,1072/1143-09-24]とシュヴァーベン大公フリードリヒ1世[Friedrich I., Herzog von Schwaben, c.1050/c.1105-07-21]との間に生まれたコンラート3世[Konrad III., 1093/1152-02-15]に始まる6代109年の王朝[Hohenstaufen, 1138/1208,1215/1254].
皇帝権の回復のために,ローマ教皇と対立[叙任権闘争].神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世は,息子のハインリヒ6世[Heinrich VI., 1165-11/1197-09-28]をノルマン朝シチリア王国の王女コスタンツァ・ダルタヴィッラ[Costanza d'Altavilla, 1154-11-02/1198-11-27]と結婚させ,1194年にハインリヒ6世がシチリア王として即位することによってシチリア島をも支配下に置いた.その子のフリードリヒ2世[Friedrich II., 1194-12-26/1250-12-13]はシチリア王でありながら神聖ローマ皇帝として即位.シチリアからドイツの統治を行った.この間,イタリアでは教皇党[ゲルフ]と皇帝党[ギベリン]との間の闘争が激化.
フリードリヒ2世の死の後,息子のコンラート4世[Konrad IV., 1228-04-25/1254-05-21]が即位するも早世.これにより,神聖ローマ帝国は大空位時代に突入.混乱は,ローマ教皇からの要請によりホーエンシュタウフェン家を滅ぼしシチリア王国を征服したフランスのカペー系アンジュー家のカルロ1世[Carlo I d'Angiò, 1227-03-21/1285-01-07]の野望を前にして,1273年にドイツ諸侯が弱小勢力でしかなかったハプスブルク家のルドルフ1世[Rudolf I.,Rudolf von Habsburg,1218-05-01/1291-07-15]をローマ王として擁立するまで続いた.
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