沢海村

新潟県新潟市江南区の区域にあった村.

阿賀野川と小阿賀野川の分岐するところから下流にあった.横越島と呼ばれた地域では一番の高所.

沢海村は伊豆の工藤祐経の子孫で伊勢から1532[天文元]年に入植した伊藤祐郷が開発したもの.そのため,伊藤家が代々庄屋を務めた.

1610[慶長15]年から1687[貞享4]年まで新発田藩の支藩の沢海藩[Soumi]の沢海城があった.沢海藩の藩祖は新発田藩の藩祖溝口秀勝の次男・溝口善勝[1584-1634].兄で新発田藩主の溝口宣勝から1万2,000石を分与され自領の2,000石と合わせて1万4,000石で越後沢海藩を立藩.

そのうち,2,000石は上野国甘楽郡内.残りは,沢海村を中心に,小杉村・木津村・江口村・割野村・嘉瀬村・酒屋村・和田村・舞潟村・平賀村・茅山村・下早通村組・上早通村・下早通村・鵜子村・泥潟村・長潟村・丸潟村・橋田村・尻上村・四ツ屋村・小熊村・旭村・満願寺村・保内村・下条村・新飯田村.

溝口善勝の後は政勝が継いだ.溝口政勝の子の政武は早世していたため,その後は加藤明友[近江水口藩初代藩主]の次男であり,溝口政勝の甥である政親が養嗣子となって沢海藩主となったが失政が相次ぎ改易された.こうして,沢海藩は廃藩.天領の時代を経て,1707[宝永4]年から旗本小浜氏の知行地となった.

1915[大正4]年に阿賀野川の河川改修によって,沢海城跡地などは河川敷となってしまった.


阿賀野川:一級水系阿賀野川水系の本流.福島県南会津郡南会津町滝ノ原から河口である新潟市松浜町まで全長は日本第10位の$210 km$,流域面積は日本第8位の$7,710 km^{2}$.福島県内では阿賀川といい,新潟県内に入ると阿賀野川と名前を変える.下流部の河川水流量は日本最大級を誇る.新潟平野はこの阿賀野川と信濃川が運んだ土砂により形成された堆積平野.昔から度々洪水を引き起こした.

posted by N.T.Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.

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