茨城県稲敷市江戸崎にある城.
美濃の土岐氏と同族である土岐原家が築城したという.
土岐光定の子・蜂屋定親の子師親は原孫次郎を称した.これが,土岐原氏の始まり.嘉慶元[1387]年,土岐原師親の次男・師秀の子の左馬助秀成が関東管領・上杉憲方の求めに応じて信太庄惣政所となり,江戸崎城を築城した.
天正18[1590]年の豊臣秀吉による小田原征伐によって江戸崎城も落城.叔父・土岐原胤倫を後見としていた江戸崎城主・土岐原頼英は,落城後に病死.ここに土岐原家は断絶.土岐原胤倫も龍ヶ崎に逼塞のまま世を去る.しかし,土岐原胤倫の子・頼房は徳川家康に取り立てられ,紀州藩主・徳川頼宣に付けられる.この時,土岐原頼房は苗字を豊島に改め,豊島朝治の代に土岐に復している.
なお,土岐原氏が没落した後の江戸崎城は佐竹義重の次男・蘆名盛重が4.5万石で入封.慶長7[1603]年に佐竹家が秋田へと転封となるまで統治.
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