毛呂氏館

埼玉県入間郡毛呂山町小田谷にある城館.長栄寺の裏手にある.

毛呂氏は藤原北家小野宮流で大宰権帥・藤原季仲の孫・毛呂季光を祖とする.毛呂季光は源頼朝の流人時代からの知己であり,挙兵直後から近臣として仕えた.その功績によって,武蔵国入間郡毛呂郷の地頭職を得た.

子孫は,代々,毛呂郷地頭職を受け継ぎ,毛呂氏館の他に毛呂山城も築城.

永正元[1504]年の山内上杉顕定・足利政氏と扇谷上杉朝良・今川氏親とが干戈を交えた立河原の戦いにおいては毛呂顕繁は山内軍として戦っている.しかし, 大永4[1524]年に北条氏綱は扇谷上杉朝興の江戸城を奪取すると毛呂顕繁は山内上杉氏を離れ北条氏綱の配下となる.これに対して,山内上杉憲房と扇谷上杉朝興が毛呂顕繁を攻めている.北条氏綱は救援の軍勢を繰り出し両軍が激突.結局,両軍は和議となり,結果として毛呂郷を含む北武蔵は北条の勢力圏となる.その翌年の大永5[1525]年に,毛呂顕繁の跡を相続した毛呂土佐守顕季が毛呂氏館に長栄寺を建立している.次の代の毛呂土佐守秋重は豊臣秀吉の小田原征伐に際して八王子城の守備に入り一族とともに討死.

なお,毛呂土佐守秋重の子孫は江戸幕府の下で旗本として存続.毛呂秋重の弟・秋綱の子孫も大谷木氏と名乗りを改めて同じく旗本として存続.


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