島根県隠岐郡隠岐の島町港町にある城.別名,甲ノ尾城とも.八尾川の河口の城山と呼ばれる丘陵地にあり,東と北は八尾川,南は西郷湾に面する.山頂部分の主郭には隠岐氏の祖である佐々木氏の祖霊社が祀られている.
城主であった隠岐氏は出雲国・隠岐国守護の佐々木[京極]高詮[1352-1401]の流れを汲む.佐々木[京極]高詮は弟・秀重を守護代とする.そして,京極秀重は同じ佐々木氏系であり鎌倉時代から隠岐に入っていた隠岐氏の居城であった西郷町東郷の宮田城[Kunda]に隠岐国守護代として入った.この段階で,国人の重栖氏を被官としている.
天文年間[1532-1555]の隠岐清政の代に国府尾城を築城し本拠地を移す.隠岐清政は一族である尼子氏の力を背景として,在地勢力の奈森城主・都万宗林[Tsuma Muneshige],中村の河渡氏,那具の桃井氏,小路城の箕面氏,島前の福頼氏を下した.この時,都万氏は滅ぼされ,都万宗林が叛旗を翻す契機となった隠岐国一宮の水若酢神社の大宮司・忌部氏を代氏に替え,島前・島後の支配権を確立.
隠岐氏は清政の後,豊清・為清と続くが,永碌5[1562]年に毛利氏が出雲国に進出すると,隠岐家中では尼子派と毛利派の対立が勃発.国人・村上氏が毛利に与したことや,尼子氏が劣勢に立たされていたこともあって,隠岐氏は尼子氏の本拠地である月山富田落城落城前に毛利方となった.但し,隠岐家中では隠岐為清が尼子軍に追われて自刃.隠岐為清の弟・清家が隠岐氏を承継.隠岐為清の子・経清はこれを不服として毛利氏の援軍を得て隠岐清家を討ち取る.しかし,隠岐清家の子・才太郎は同じく毛利氏の支援で国府尾城を奪還.以降は,毛利氏配下の吉川氏の支配下となる.
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