島根県隠岐郡隠岐の島町東郷宮田にある城.
宮田城の起源は鎌倉時代に遡り,隠岐佐々木氏が守護代として築城し,隠岐の支配の拠点としたと伝わる.その後,室町時代に入って出雲国・隠岐国守護の佐々木[京極]高詮は弟・秀重を守護代とする.そして,京極秀重は隠岐佐々木氏の居城であった宮田城[Kunda]に入った.佐々木京極系の隠岐氏は本拠地を国府尾城に移す.但し,宮田城は引き続き城砦としての機能を担う.
尼子氏が毛利氏に敗れ,尼子勝久[1553-1578]が山中鹿之介幸盛[1545-1578]に奉じられ隠岐島に来島した際には隠岐氏は宮田城を提供している.
宮田城の北は現在は埋め立てられているが往時は内湾であり,宮田城は北面を船溜りとして用いる海城であった.また,南側には七堀と呼ばれる堀切があり,麓には居館があった.
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