滋賀県近江八幡市牧町にある城.現在は埋め立てられている水茎内湖に囲まれた浮城として知られていた.城は琵琶湖に面する頭山と大山に近江国守護・佐々木六角氏の湖上警固のために築かれた.
永正5[1508]年,前将軍・足利義尹を擁する大内義興軍の上洛が迫ったことで,室町幕府第11代将軍・足利義澄が水茎岡山城主・九里信隆を頼って近江国に逃れた際に本格的に改修されたと考えられている.上洛した足利義尹は将軍に復位し,水茎岡山城は幕府軍3000余によって包囲されるが,籠城に耐え抜いている.
足利義澄の子で後に将軍となる足利義晴は水茎岡山城で生まれている.また,足利義澄は念願の上洛を果たすことなく水茎岡山城で病死している[1515].つまり,水茎岡山城は足利将軍家に深く関わりを持った城であると言える.
九里信隆は近江国守護・六角高頼によって殺害され,永正17[1520]年には九里信隆の子・浄椿が六角高頼・定頼父子と細川高国連合軍によって攻められ落城.大永5[1525]年に九里一族が蜂起し水茎岡山城に籠城するが守護軍によって鎮圧され水茎岡山城は廃城となった.
なお,足利義晴は出生直後に義澄派の播磨国守護・赤松義村に預けられ近江国を去っている.
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