滋賀県大津市南滋賀町にある城.
宇佐山城は近江神宮の背後に森可成[1523-1570]が築城.森氏は源義家の子の陸奥七郎義隆の子・若槻頼隆の次男・森頼定が相模国毛利庄を領したことを起源とする家柄.森頼定の子・森定氏の代に美濃国入りし土岐氏に仕えた.
森可成は森可行の子として尾張国葉栗郡蓮台に生まれ,美濃国内で斎藤道三が土岐頼芸を追放すると織田信長に仕えた.
織田信長上洛後に宇佐山を与えられ築城.
元亀元[1570]年,織田軍主力が摂津国における三好三人衆との野田城・福島城の戦いに割かれる中,浅井長政・朝倉義景連合軍迫るとの報せに森可成は野府城主・織田信治,青地茂綱とともに坂本に布陣.浅井長政・朝倉義景連合軍3万余を1千余にて迎え撃つ.ここに,石山本願寺法主・顕如の要請により延暦寺僧兵が繰り出した.織田軍は数が少ない中で奮戦するも虚しく森可成,織田信治,青地茂綱は討死した.
勢いに乗る浅井長政・朝倉義景・延暦寺連合軍は宇佐山城に一気に攻めかかった.ところが宇佐山城の守りは堅く城を落とすことは出来なかった.
森可成・織田信治・青地茂綱討死を知った織田信長は急ぎ摂津国から近江国へと引き返し,宇佐山城に入ったという.織田軍主力が宇佐山城に入ったことにより,浅井長政・朝倉義景・延暦寺連合軍との戦いは膠着状態となり両軍は和議を結ぶ.
浅井長政・朝倉義景が引き揚げると,和議の条件によって織田信長は宇佐山城を破却し兵を引いた.
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