埼玉県児玉郡上里町大字金久保にある城.現在は陽雲寺が建っている.
陽雲寺は元弘3[1333]年に新田義貞が不動堂を建立したことが起源とされる[新田勝軍不動堂].
金窪南城は,明応元[1492]年に満願寺の地に大畠長門守昌広が築城したと伝わる.満願寺は新田勝軍不動堂を護っていたのであろうか.
大畠氏は昌広の後,広基・広忠と続いたが大永4[1524]年に滅亡.
その後,金窪の地は関東管領・山内上杉氏配下の斎藤氏が領するところとなる.天文9[1540]年斎藤定盛が諸堂の整備を行い,寺名を崇栄寺と改めた.崇栄寺は天正10[1582]6月の神流川の戦いで焼失.斎藤氏も滅亡を余儀なくされた.
現在の陽雲院は,徳川家康に取り立てられた甲斐武田一族の武田[河窪]信俊[1564-1639]が金久保に所領を得て信玄夫人三条殿を迎えたことによる.三条殿は旧崇栄寺内に居を定め,この地で没したという.陽雲院は三条殿の法号なのである.
なお,金窪城は至近の距離にある.
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