穆佐城

宮崎県宮崎市高岡町小山田にある城.伊東四十八城の一つ.また,新納院高城,三俣院高城とともに日向三高城ともいわれる.

建武2[1335]年に土持宣栄が攻めた伊東祐広の穆佐院政所というのが穆佐城であると考えられる.

足利尊氏方として,北九州攻略を担った九州探題・一色範氏[1300-1369]に対して,南九州の攻略は畠山直顕に任された.畠山直顕は土持宣栄らを従えて伊東氏・野辺氏といった南朝方を攻略し,建武5/暦応元[1338]年に遂に伊東祐広・野辺盛忠を、続いて肝付兼重を帰服させた.

康永4[1345]年に日向国守護職に任ぜられた畠山直顕が城主となっている.畠山直顕は観応の擾乱においては足利直冬に与したことや,南朝方の菊池武光[1319-1373]に大敗したことで国人衆の求心力を失い,延文3[1358]には穆佐城を退去し消息が不明となる.

応永年間[1394-1428]には薩摩国・島津元久が攻略.島津元久は子・豊久を穆佐城主に据えた.

しかし,文安2[1445]年には再び伊東氏が支配.さらに,伊東義祐[1512-1585]が島津義弘[1535-1619]との木崎原の戦いで大敗すると伊東崩れが始まり福永氏・土持氏・野村氏・米良氏が離反.天正6[1578]年,伊東義祐は大友宗麟を頼って豊後に亡命[豊後落ち].穆佐城は島津氏によって奪還された.一国一城令により廃城.


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