福井県美浜町佐柿にある城.常国国吉によって築城された物を,若狭武田四老の一人・粟屋勝久が弘治2[1556]年に改修したと伝わる.
この国吉城を舞台として粟屋勝久は越前国の朝倉義景による若狭国侵攻を再三にわたって阻止.しかし,主君である若狭国守護・武田元明が朝倉義景によって越前国へと連れ去られることを防ぐことが出来ず,その後も朝倉氏と戦い,やがて織田信長に与した.
織田信長は越前侵攻の前に国吉城に逗留したという.粟屋勝久は織田信長軍に従軍し,越前国に幽閉されていた旧主・武田元明を救出したものの,既に若狭国は丹羽長秀に任されており国主としての復帰は叶わなかった.粟屋勝久を始めとする若狭衆は丹羽長秀の与力とされた.
織田信長が本能寺の変で倒れると,豊臣秀吉は木村重茲を国吉城主とした.
次いで,天正15[1587]年に浅野長吉が若狭に封ぜられると,江口三郎右衛門・浅野平右衛門が城代として城を守った.関ヶ原の戦いの後は,京極高次が若狭国に封ぜられ多賀越中が城将を勤めたが,一国一城令により廃城.
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